投球・サーブ障害肩予防トレーニング

カテゴリー: 野球肘

高校生投手の球速と肘障害

時速90マイル(144.8 km)

アメリカの高校生投手にとって時速90マイル(144.8 km)をスカウトの前で投げることが一つの目標になっているかもしれない。そんな球速ブームの昨今に警鐘を鳴らすかのような高校生投手の球速90マイルとトミー・ジョン術の関係を示した論文がある。

投手全体の27%がトミー・ジョン術

2010-2020年の間にメジャーリーグベースボール(MLB)の5巡までにドラフトされた投手845名の後ろ向き研究によると全体の27% にあたる229名がトミー・ジョン術を受けていた。MLBドラフト5巡以内の選手とは才能をもった有望選手のことで投球メカニクスも優れていると言える。またトミー・ジョン術とは投球側の肘の内側側副靭帯(アメリカではこの靭帯ことを尺側側副靭帯と呼んでいる)再建術のことである。最近で言えば、前田健太選手(現デトロイトタイガース)や大谷翔平選手も受けた再建術のことである。

高校時に90マイルを投げる投手は、高校時に投げられなかった投手に比べ、トミー・ジョン術を有意に多く受けていたことであった。同様に高校時に最高球速92マイル(148 km)以上投げる投手も投げられなかった投手に比べトミー・ジョン術を有意に多く受けていた。ただし高校投手で速球95マイル(153 km)を投げる投手はトミー・ジョン術のリスクが低かったことであった(オッズ比0.43)。この場合のオッズ比は球速95マイルの投手の中でトミー・ジョン術を受けた割合とその球速に達しなかった投手らが受けた割合の比なのでオッズ比1以下はトミー・ジョン術リスクが低いことになる。

さらに229名の選手のトミー・ジョン術を受けた時の平均年齢と標準偏差±1(22.3 ± 2.9歳)から19.4歳以下の早期群27名と25.2歳以降に手術を受けた後期群29名に分けて比較すると早期群は後期群に比べ大リーグでの登板が有意に少ないことであった(48.1% vs 86.2%)。

関連論文では高校時に球速90マイル(144.8 km)を投げ大リーグで登板した投手は、 大リーグで登板できなかった投手に比べてトミー・ジョン術までが有意に遅かった(5.8年 vs 4.3年)。これは高校時に球速92マイル(148 km)投げた投手にも言え、大リーグで登板する選手は、大リーグに登板できなかった選手に比べてトミー・ジョン術まで有意に遅かった(5.5年 vs 3.6年)。

アメリカの高校生投手にとって球速90マイルをスカウトが集まるShowcase(セレクション)で見せることはMLBにドラフトを受けるあるいは大学進学のためのスポーツスカラシップを獲得することにつながる。その一方で肘に負担をかけることにもなり兼ねない。たとえば19.4歳以下の早期でトミー・ジョン術を受けることになれば逆に大リーグまでの機会が薄れることになる。

19歳以下までの後思春期の選手が効率の良い投球メカニクスを習得したとしても、骨をつなぐ靭帯を保護するための筋力、体力があるとは言えない。最近特に球速向上のための特別な運動も開発され一昔前に比べ高校生投手が球速140-150 kmを投げることも珍しくない。スカウトにとっても球速は選考の説得材料にもなる。しかし今回の研究論文から球速90マイル(144.8 km)を投げるだけで大リーグに達するものでなく、むしろ早期にトミー・ジョン術を受けるかもしれないことであった。

文献
Kriz et al. Ulnar collateral ligament tear in elite baseball pitchers Am J Sport Med. 2022:50(11):3073-3082.
Kriz. Effect of High School Showcase Exposures and Timing of Ulnar Collateral Ligament Tear on Professional Baseball Careers in Elite Pitchers. Am J Sport Med. 2023;51(4):926–934.

アメリカに全国高校選手権大会はない

アメリカの高校にはインターハイや野球なら甲子園のような全国大会はなく、各州の選手権大会までである。スポーツ競技の全米選手権は大学(National Collegiate Athletic Association通称NCAA)からである。ゆえに高校生にとってShowcase(セレクション)が選手の能力を示す機会である。
Showcaseとは選抜チームを形成し、実際に競技を設ける。参加は選手の任意であり、学校とは関係ない。そのため必要経費は各個人負担になる。
高校生はShowcaseを運営しているウェブサイトに登録し、プロフィールだけでなく個人の公式戦動画もアップする。ウェブサイトはShowcaseを運営するだけでなく、選手レベルもランキングしている。有名な主催側にはPerfect GamePrep Baseball Report があり、大学コーチやMLBスカウトも選手のスカウトにサイトを活用している。

UCLハイブリッド術

大谷選手

 大谷翔平選手が19日現地時間に投球側の内側側副靭帯(UCL)手術を受け、翌日からメディアはこのことを取り上げました。術後に担当執刀医のDr. Neal ElAttracheは声明文を発表しました。その文から見えてくる内容を解説してみたいと思います。

“The ultimate plan after deliberation with Shohei, was to repair the issue at hand and to reinforce the healthy ligament in place while adding viable tissue for the longevity of the elbow.

“was to repair the issue at hand”

 これは、「目の前に置かれている(少々意訳)の問題を解決することだった。」”Repair”は医療の場合「修復」や「修復術」として使われていますが、一般には「直すこと」です。”the issue”は「問題」でこの場合大谷選手の肘の再損傷のことです。

“reinforce”は補強

 ”Reinforce”は補強することです。軍隊用語で兵、武器を補充(補強)することです。これを「強化」と訳すとニュアンスは変わります。

“the healthy ligament”

 次に、”the healthy ligament”は健康な靭帯ですが、自家腱移植のことです。逆側の長掌筋腱か、大腿内側部の薄筋腱か、どこの腱を採取したのかわかりませんが、靭帯に置き換えたことです。腱と靭帯は同じ緻密性結合組織です。採取した腱をグラフト(移植)用の靭帯に整えたので、”the healthy ligament”と説明されたと思います。

“adding vaibale tissue”

 “adding viable tissue”はインターナルブレスのことです。残念ながらインターナルブレスは日本の医療では認可されていません。ちなみにアメリカでは、スカラシップで進学希望する高校生や大学生あるいはマイナーリーグの投手に使われています。その他のオーバーヘッド選手にも採用されています。しかしメジャーリーグの投手にはこれまで採用していません。(下記のインターナルブレスのデモンストレーションビデオをご参考にしてください。)

“in place”

最後に”in place”は適切なところ、つまり傷んだ前斜走靭帯があるところにと言う意味です。前斜走靭帯は投球で痛める肘の靭帯のことです。

Procedure

 声明文からだと今回の大谷選手が受けた術法(Procedure)は、ハイブリッド術だったと確信します。最初に自家腱を移植し(トミージョン術)その後にインターナルブレスで補強した形です。Dr. ElAttracheはそのように説明していました。前田健太選手もこのハイブリッド術を受けています。ですので新しい術法でなく、MLBの投手にはハイブリット術が行われる傾向です。

インターナルブレス修復術

 インターナルブレスは人工靭帯に加え、縫合用の糸が2つ出ています。損傷あるいは部分断裂した靭帯を修復するためにです。もともとインターナルブレスは修復術になります。縫合だけでは術後の成績が良くなく、結果的に人工靭帯で補うようになったのです。ビデオで見てわかる通りに簡単な修復術ですし、補強(人工靭帯)が加わったことでが術後の成績は良好です。しかしMLBの投手にはインターナルブレスだけでは微妙なことが推察できると思います。

トミージョン術

 野球肘で最も多い手術介入がトミージョンと呼ばれている肘の内側側副靭帯損傷による再建術です。1974年にFrank J. Jobe医師によって初めて執刀され、その時の患者がメジャーリーグ(MLB)のTommy John投手でした。彼は再建術後にMLBで164勝を挙げ、このことからトミージョン術と呼ばれるようになりました。肘の内側側副靭帯は前腕小指側の尺骨(ulna)に付いていることからアメリカではUCL(ulnar collateral ligament)と呼び、その損傷をUCL損傷、トミージョン術あるいはUCL再建術と呼んでいます。
トミージョン術が行われるまではUCL損傷は投手キャリアの終了を意味していました。Jobe医師はその後16人の投手にUCL再建術を行い、2年間の追跡調査の結果、63%の患者が術前と同じレベルで復帰したことを報告しました。

健康と外傷・障害追跡システム

 2010年までトミージョン術は年に数件でしたが、2010年以降みるみるうちのその件数は増え、年間数十件執刀されるようになりました。その理由はMLBに画期的なシステムが導入されたからでした。2010年MLB機構とMLB選手会が「健康と外傷・障害追跡システム」(Health and Injury Tracking System:”HITS”)構築に関する合意がありました。このことでMLBおよびマイナーリーグに所属する選手すべての外傷・障害を電子で記録することになり、特に肘のUCL損傷は選手に症状が出た時からチームは入力する義務があり、選手が引退するまで追跡することになりました。その間どのような治療を受けたのか、MRIなど画像診断があったならばその画像、再建術あるいは修復術を受けたならどのような手術方法で医師は誰だったのかなどカルテの情報すべてを電子メディカル記録に報告することになりました
この結果2013年以降、MLBのUCL損傷およびトミージョン術に関する論文が増え、2013年は2本だったのが2019年は13本とこの10年間で70本以上の学術論文が出版されました。PubMedという英文誌医学検索で”ulnar collateral ligament”と”MLB”を入れての結果です。
HITSは、研究者にUCL損傷メカニズムの好奇心をそそり、医師はトミージョン術のリスク管理情報を共有し、選手には選択権を与え、球団は大型契約を結ぶ際の材料に使います。そして野球をする大学生からスカラシップで進学を希望する高校生にまでも影響を与えました。

PITCHf/xシステム

 現在MLBの各球場にはPITCHf/xシステムが設置されていて、公式戦に登板した投手の球速、球種、投球数が記録されています。このことと追跡システムとでUCL損傷メカニズムを分析しています。しかし今のところ分かっているのが最高球速95.7 mph(154 km/h)以上を投げる投手の20%はUCL再建術の可能性があることです。しかし球速との関係を示した論文はありますが、それ以上のことは明らかにされていません。

Dr. Akizukiとの再会

5月13日にDr. Akizukiと再会しました。Dr. Akizukiは、MLBサンフランシスコ・ジャイアンツのチーム整形外科執刀医です。何十年も投手のトミージョン手術、インターナルブレス修復術をされています。日本人選手にもされています。私も2019年から20年までDr. Akizuki医師の手術を間横で見学させていただきました。毎週水曜日、朝7時から最後終わるまで見学し、いろいろ教えていただきました。一日5件の手術はされていました。たくさんのトミージョン手術、インターナルブレスによる再建術、SLAP損傷修復術など見学できたことは幸運でした。

Dr. Akizukiは5月11日から14日までパシフィコ横浜で開催された日本整形外科学会の外国人講演者の一人に招聘され「Orthopaedic Aspects and Controversies in Baseball in the US」を話されました。

個人的にお話する機会があり、最近の2年間は肘のUCL再建術にはハイブリッド術を採用していることを聞きました。これは従来のトミージョン手術に加え、上からインターナルブレスを当てるものでした。現在ミネソタツインズでプレーしている前田健太選手もこのハイブリッド術を受けました。

MLBとしてトミージョン術後、再再建術が発生していて、それが術後平均3.8年であることでした。あくまでもMLBとしてであり、また術後からの平均年数のことです。全員がそうではありません。ダルビッシュ有選手や大谷翔平選手のことではありません。ただUCL再再建術が発生していることから取り入れられたのがハイブリッド術でした。

私が見学していた2020年まではDr. Akizukiはこのハイブリッド術を採用していなく、むしろ尺骨側にグラフトを通すために横に向けてトンネル開け、加えてアンカーを留めるためにもう一つ上から穴をあけることで骨が崩壊するのではないかと指摘すらしていました。ちなみに上腕骨内側上顆の方は縦に一つの穴を開けてすべてドッキングさせると話していました。

トミージョン術後のMLB現役選手の平均は4.8年と報告されています (Camp 2018)。これもあくまでもMLBとしての平均であり、すべてがそうではありません。

Dr. Akizukiは、MLBの投手は大きな契約となり、ベストの選択が求めらとのことでした。手術の選択は球速で決まるとのことでした。たとえば尺骨神経炎だと小指側にしびれがあったとしても球速は落ちない。しかし尺側側副靭帯が損傷すると球速は落ちる。球団は球威が落ちた投手とは契約しないとのことでした。

最近も大型契約でMLBに挑戦する日本人投手がいます。その際MRIで徹底的に肘の検査があります。検査次第で契約金が変わるほどです。あるいは5年契約ですぐに手術をして残り3年プレーする選択もあるが、そこは選手の選択になります。球団はメディカルの提案に基づて契約をする。あらゆる投手の潜在する障害リスクから回避しようとします。ちなみに現在オークランド・アスレティックスでプレーしている藤波晋太郎選手の肩、肘は完璧だと、Dr. Akizukiは言っていました。彼の体格、球速の潜在能力からはもっと期待できるはずだが、今のところ3回までとのことです。最初に打たれるが次の3回は完璧、あるいは最初の3回は完璧だが、次の回で崩れる。

Dr Akizukiのようなドクターが日本には必要だと思いました。エビデンスを共有し、エビデンスに基づき判断する。SFジャイアンツも投手獲得にはDr. AkizukiのMRIによる診断が不可欠です。このようなドクターと出会えたことは本当に光栄だと思いました。

投球肘損傷の重症度と復帰率

2006 年から2011年の間にメジャーリーグ(MLB)とその傘下のマイナーリーグ(MiLB) 6球団で肘尺側側副靭帯(UCL)損傷が43 件あった。43件の損傷を4 つの重症度別に分け、追跡調査を行った報告があった(Ford 2016)。

重症度I 完全な靭帯で浮腫があるもしくは浮腫もない
重症度IIA 部分損傷
重症度IIB 慢性治癒外傷(カルシウム沈着から石灰化)
重症度III 完全断裂

結果は、重症度III の選手8 名はすべてUCL再建術(トミージョン手術)を受け、うち6 名(75%)が競技復帰(return to play: RTP)、しかし5名(63%)の選手が術前と同じレベルまで復帰できた(return to the same level of play or higher: RTSP)。

それに対し重症度IIAあるいはIIB の選手7 名がUCL 再建術を受け、7名すべて(100%)復帰(RTP)で、6 名(86%)はRTSPまで復帰できた。再建術を受けなかった選手28 名のうち、重症度I の4 名すべてはRTSP(100 %)まで復帰でき、重症度IIAは6 名中5 名がRTSP(83 %)で、重症度IIBは18 名中17 名がRTSP(94 %)まで復帰できた。

ベテラン投手

ベテラン投手は、UCL再建術後1年以上のリハビリテーションを要することから、選手生活を失うことを避け保存治療を選択する傾向にあった。保存治療は6 週から8 週を要し、その後の症状によってリハビリテーションを継続するかUCL再建術を選択するかを決定することになる。再建術前のリハビリテーション期間の平均は46 日間であったFord 2016)。保存治療後に投球プログラムが再開されるので、RTPにはさらに数週間を要することになる。

初回のUCL損傷であれば保存治療の選択も有効だが、重症度から見分ける必要があるだろう。あくまでもUCL再建術は重症度に関係なくプロ投手としての選択になる。

図は、プロ投手43件のMRIによる肘内側損傷の重症度別と追跡結果。損傷度(Grade)I = 完全な靭帯で浮腫があるもしくは浮腫もない、Grade IIA = 部分損傷、 Grade IIB = 慢性治癒外傷(カルシウム沈着から石灰化)、Grade III = 完全断裂。RTP, return to play(競技復帰); RTSP, return to same level of play or higher(術前と同じレベルまで復帰); UCL, ulnar collateral ligament(尺側側副靭帯)(Ford 2016

肘の遠位部損傷

プロ投手で急性UCL損傷を患った39 名中33 名(85 %)が保存治療を選択した。最終的には32 名の投手を追跡調査した結果、34 %(11/32 名)が保存治療による改善がみられずUCL再建術(トミージョン手術)を受けることになった。11 名中9 名(82 %)が遠位部損傷であったFrangiamore 2017)。

図はMRIによるUCL損傷度合いと損傷後初期治療。黒で示した量は保存治療の割合で白はUCL再建術(トミージョン手術)の割合。遠位部[尺骨側(Distal Tear)]損傷の選手31% (4/13)が保存治療で復帰、それに対し69% (9/13)の選手は再建術で復帰。損傷重症度(High-Grade Tear)の43% (6/14)が保存治療で復帰、57% (8/14)の選手は再建術で復帰。慢性損傷(Chronic Changes)の84% (16/19)の選手は保存治療で復帰、16% (3/19)の選手は再建術で復帰。遠位部(尺骨側)損傷が重症度(High-Grade& Distal)の選手88% (7/8) は保存治療が経過不良(Frangiamore 2017)。

肘内側遠位部(尺骨側)の安定性が重要

以前のブログでも話したのですが、遠位部(尺骨側)の損傷は近位部(肘側)の損傷に比べ保存治療による経過不良の症例が12.4 倍であった。(Fragiamore 2018)。解剖用屍体を使ったバイオメカニクスの分析からも近位部(肘側)に比べ後方遠位部(尺骨側)が回旋抵抗(外反に対し)に最も安定性に生んでいることを示していた。このことから遠位部(尺骨側)の損傷は致命的になり、投手にとって肘遠位部損傷の保存治療は厳しくなる。MRI 検査でも29 名中UCL遠位部の部分断裂を起こした7 名の選手すべてに多血小板血漿(Platelet-Rich Plasma:PRP)療法を施したが、やはり成績は不良であった(Dines 2016)。

Milking Maneuver Testによる肘屈曲90°において尺骨側に痛みがあるのか、Moving Valgus Stress Test肘屈曲のどの角度で尺骨側に痛みがでるのかを確かめる必要があるだろう。その上で専門医師によるMRI画像での診断を仰ぐことになるのは間違いない。

投球肘内側痛のストレステスト Moving Valgus Stress Test

肘の外反ストレステスト

肘尺側側副靭帯(UCL)損傷を調べるのに外反ストレステストがあり、手のひらを上に向けた回外位で行うのと手のひらを下に向けた回内位で行う方法がある。

前腕を回外位で外反ストレステストを行う場合は、肩甲上腕(肩)関節が最大に外旋していることが大切である。しかし靭帯の弛緩を見るのに肘関節の屈曲位30°、50°、70°で違いはない。理由は橈骨頭と上腕骨遠位端(小頭)の関節および蝶番の腕尺関節がともかく外反に抵抗しているためである(Hariri 2010)。

腕尺関節の隙間(裂隙)幅は安静時で3 mm程度である。たとえば肘を痛めていない40名のプロ投手の利き腕側の最大外反ストレスによる裂隙開大は安静時から比べ1.2 ± 1.0 mmで非利き腕側が0.9 ± 0.6 mmであった(Ellenbecker 1998)。つまり膝の外反ストレステストと異なり、肘外反ストレステストは安静と開大時とで靭帯の弛緩を比較するのは難しい。

写真は肘屈曲位25°、回外位、肩関節外転位65°に最大外旋位において外反装置で肘内側裂隙の開大を測っている(Ellenbecker 1998)。

投球肘で内側に痛みをもつ若年者74名[(平均年齢: 18.7)うち62名は投手]に肘関節20–30 度に外反ストレスを与えレントゲン撮影して調べた結果(下の写真)、UCL損傷側(投球側)は安静時に3.1 ± 0.5 mm,外反ストレスを与えた時に4.6 ± 0.8 mmの関節裂隙が開大した。それに対し非損傷側(非投球側)では,外反ストレスを与えた時に4.2 ± 0.7 mmであり、外反ストレス有無における関節裂隙の開大差が0.4 ± 0.6 mmであった。この結果、損傷有無で裂隙の安静時には有意差はなく、開大差においては有意差が見られた。しかし被験者の22%は非損傷側の方が開大しているなど、肘に外反ストレスを用いたレントゲン撮影は重症度に関係なく有効でないと結論付けられているMolenaars 2020)。トップレベルの投手は投球側の肘内側の関節包、UCL靭帯を肥大させていてChalmers 2021、外反による開大に抵抗している。

図はMolenaars 2020から転用

写真はMolenaars 2020から転用

前腕回内での外反ストレステスト

肘UCLは前腕回内位で最大に弛緩する。理由は腕橈関節(橈骨頭と小頭)の抵抗を減らすためである。しかし回内での外反ストレステストの際、腕の外転運動が起きていないかに注意する必要があり、なによりも前腕の筋群が外反に抵抗することからやはりUCL靭帯の弛緩を調べるのは難しいChalmers 2017)。

Miking Maneuver test

肘尺側側副靭帯(UCL)損傷を調べるのにMiking Maneuver testがある。肩関節外転,外旋位,肘屈曲90°,前腕回外位において検者は患者の親指を握り,後方に引っ張ることで外反ストレスを生じさせ、UCL前斜走靭帯の後方線維にストレスを与えるErickson 2017)。

 

写真と図はErickson 2017から転用。肘屈曲位90°より深い角度ではUCL前斜走靭帯の後方線維にストレスを与えることができる。図に赤点線を加えた。

Moving valgus stress test

Moving valgus stress testは肩外転90度位,肘完全屈曲位で検者は手を患者の肘後部に当て外反力をつくる.次に患者の手のひらと自らの手のひらを合わせ ,患者の肘と手において外反力を与えながら肘を伸展させる。肘屈曲が浅くなればUCL前斜走靭帯の前方線維にストレスを与える(下の写真)。

写真と図はErickson 2017から転用

肘関節屈曲90°での痛み

Moving valgus stressテストで大切なことはどの肘屈曲角度で痛み(症状)が生じているかである。つまり尺骨側かあるいは上腕骨内側上顆側かである。触診で痛みの箇所を調べ、尺骨側に痛みがあるならば投手にとって保存治療の選択は厳しいものになるだろう。特に肘関節90°あるいはより深い屈曲位で尺骨側の靭帯遠位部に痛みがある場合は、前斜走靭帯の後方線維が損傷していることになるからである。一方で上腕骨内側上顆側の痛みなら保存治療は可能である(Frangiamore 2017)。

トミージョン手術患者の43%は肘内側に痛み

尺側側副靭帯(UCL)再建術(トミージョン手術)後平均9.75ヶ月において選手は肘内側に痛みを経験するKeller 2018)。ブルペンでの投球開始後のことである(Camp 2021)。

ブルペンでの投球は50%から75%の球速制限が設けられているが,感覚的に投球すると制限速度を超えてしまう。たとえば健常な大学生と高校生の投手37 名にスピードガンで最高球速を測定し,自己意識下において最大球速の50%と75%を投げてもらうと、球速はスピードガンで測定したのより有意に速くなる。また投球側の肘にウェアラブル加速度センサー(Motus Global, Rockville Centre, NY, USA)を着用して外反トルクを測定すると、スピードガンでの投球に比べ自己意識下での投球は有意に外反トルクを高くする(Lizzio 2020)。このことからUCL再建術後7–9ヵ月のブルペンでの投球練習はスピードガンで球速を制限する必要がある

図の●は自己意識下で投げた球速。◯はスピードガンの制限で投げた球速。縦軸が最高球速からの割合(%)。横軸が目標下の最高球速の割合(%)。明らかに自己意識下での投球の方が速い。

図の●は自己意識下で投げた球速。◯はスピードガンの制限で投げた球速。縦軸が肘にかかる最大トルクの割合(%)。横軸が目標下の最高球速の割合(%)。明らかに自己意識下での投球の方がトルク値を上げる。

 

https://www.drivelinebaseball.com/product/pulse-throw/(Motus Global, Rockville Centre, NY, USA)

UCL(トミージョン)手術後18.5ヵ月ではイニング数、防御率、インニングの四球安打数(WHIP)を手術前・後と比較しても有意差はない。しかし投手は手術後18ヵ月においても100%の投球感覚はないDines 2007) 。

トミージョン手術を受けた投手は、前腕筋だけでなく腱板、肩甲骨周辺筋さらにキネティックリンクエクササイズを少なくとも完全復帰するまで行う必要がある。

トミージョン手術

MLB投手のうち26%が尺側側副靭帯(UCL)再建術(通称トミージョン手術)を受けている。マイナーリーグ(MiLB)投手のUCL再建術は19%であったが、件数からだとMiLBの選手の方が4倍以上である。UCL再建術の87%は投手である。MLB投手の68%が26歳以降にUCL再建術を受けていたの対し、MiLB投手の88%は25歳以下で受けていたLeland 2019)。

UCL再建術後MLB投手の平均プレー年数4.8年

UCL再建術の復帰率はMLB投手で80%、MiLB投手で69%であったCamp 2018)。これは手術云々でなく、選手のプロとしての能力(契約)によるものである。UCL再建術後の現役選手の平均年数は、MLB投手で4.8年、MiLBが3.2年であった。これも選手としての契約の違いからである(Leland 2019)。

術後7–9ヵ月でブルペン

プロ野球投手の81%はUCL再建術後2 週目からリハビリを始め、術後5–6ヵ月から最大46 mの遠投を始め,52%の投手は術後7–9ヵ月からブルペンで投球を始める(Camp 2021)。

浅指屈筋、尺側手根屈筋、上腕筋がUCL損傷を最小限

UCL損傷予防に関して浅指屈筋があるFrangiamore 2018)。浅指屈筋は尺骨隆起内側およびUCL前斜走靭帯に付着し,上腕骨内側上顆までの前方内側関節包に付着している。しかし直接浅指屈筋の腱が内側腕尺関節をまたがっているわけではない。特に第5指と第2指の起始がUCL前斜走靭帯にアプローチしているHoshika 2019; Matsuzawa 2020)。浅指屈筋に加えて尺側手根屈筋もUCL前斜走靭帯にアプローチしているFrangiamore 2018)。もう一つ上腕筋がある。上腕二頭筋の後ろを走行していて、 尺骨に停止していることから前腕回内運動に影響しない。その停止部が尺骨鉤状突起であるためUCL損傷予防に貢献しているHoshika 2019)。以上この3つに筋腱がUCL損傷を最小限に防ぐことができるかもしれない。

図:浅指屈筋[ Flexor Digitorum Superficialis (FDS)]は尺骨隆起内側および前斜走靭帯(ABUCL)に付着し,上腕骨内側上顆までの前方内側関節包に付着している。尺側手根屈筋 [Flexor Carpi Ulnaris (FCU)]は鉤状結節(sublime tubercle)と尺骨隆起に付着し,UCLの前斜走靭帯と横走靭帯(OBUCL)および筋線維は横走靭帯付着。上腕筋(Brachialis)は尺骨粗面に広く付着し,鉤状突起(coronoid process)遠位部と鉤状結節(sublime tubercle)および尺骨隆起に付着。(Frangiamore 2018

致命的な遠位部(尺骨側)損傷

遠位部の損傷が再建術に関係する.(米国)プロ野球投手で遠位部の損傷のうち82%は症状の改善がみられなかった.しかし近位部を損傷した81%は保存治療で症状の改善がみられた.遠位部の損傷は12.4 倍の確立で保存治療による改善は見込まれないFragiamore 2017)。

腕尺関節において前斜走靭帯の遠位部が最も肘に対する外反力に抵抗し、腕尺関節の安定に貢献している。従って前斜走靭帯の遠位部で特に後方遠位部(写真のPD: Posterior Distal)が損傷すると外反制動を失うことになる。肘関節が屈曲すればするほど後方遠位部(PD)の貢献は増加し、伸展すればするほど前方遠位部(AD)の貢献が増加(Frangiamore 2017)。このことから前斜走靭帯後方遠位部の損傷は投球動作のコッキング後期に発生する。