時速90マイル(144.8 km)
アメリカの高校生投手にとって時速90マイル(144.8 km)をスカウトの前で投げることが一つの目標になっているかもしれない。そんな球速ブームの昨今に警鐘を鳴らすかのような高校生投手の球速90マイルとトミー・ジョン術の関係を示した論文がある。
投手全体の27%がトミー・ジョン術
2010-2020年の間にメジャーリーグベースボール(MLB)の5巡までにドラフトされた投手845名の後ろ向き研究によると全体の27% にあたる229名がトミー・ジョン術を受けていた。MLBドラフト5巡以内の選手とは才能をもった有望選手のことで投球メカニクスも優れていると言える。またトミー・ジョン術とは投球側の肘の内側側副靭帯(アメリカではこの靭帯ことを尺側側副靭帯と呼んでいる)再建術のことである。最近で言えば、前田健太選手(現デトロイトタイガース)や大谷翔平選手も受けた再建術のことである。
高校時に90マイルを投げる投手は、高校時に投げられなかった投手に比べ、トミー・ジョン術を有意に多く受けていたことであった。同様に高校時に最高球速92マイル(148 km)以上投げる投手も投げられなかった投手に比べトミー・ジョン術を有意に多く受けていた。ただし高校投手で速球95マイル(153 km)を投げる投手はトミー・ジョン術のリスクが低かったことであった(オッズ比0.43)。この場合のオッズ比は球速95マイルの投手の中でトミー・ジョン術を受けた割合とその球速に達しなかった投手らが受けた割合の比なのでオッズ比1以下はトミー・ジョン術リスクが低いことになる。
さらに229名の選手のトミー・ジョン術を受けた時の平均年齢と標準偏差±1(22.3 ± 2.9歳)から19.4歳以下の早期群27名と25.2歳以降に手術を受けた後期群29名に分けて比較すると早期群は後期群に比べ大リーグでの登板が有意に少ないことであった(48.1% vs 86.2%)。
関連論文では高校時に球速90マイル(144.8 km)を投げ大リーグで登板した投手は、 大リーグで登板できなかった投手に比べてトミー・ジョン術までが有意に遅かった(5.8年 vs 4.3年)。これは高校時に球速92マイル(148 km)投げた投手にも言え、大リーグで登板する選手は、大リーグに登板できなかった選手に比べてトミー・ジョン術まで有意に遅かった(5.5年 vs 3.6年)。
アメリカの高校生投手にとって球速90マイルをスカウトが集まるShowcase(セレクション)で見せることはMLBにドラフトを受けるあるいは大学進学のためのスポーツスカラシップを獲得することにつながる。その一方で肘に負担をかけることにもなり兼ねない。たとえば19.4歳以下の早期でトミー・ジョン術を受けることになれば逆に大リーグまでの機会が薄れることになる。
19歳以下までの後思春期の選手が効率の良い投球メカニクスを習得したとしても、骨をつなぐ靭帯を保護するための筋力、体力があるとは言えない。最近特に球速向上のための特別な運動も開発され一昔前に比べ高校生投手が球速140-150 kmを投げることも珍しくない。スカウトにとっても球速は選考の説得材料にもなる。しかし今回の研究論文から球速90マイル(144.8 km)を投げるだけで大リーグに達するものでなく、むしろ早期にトミー・ジョン術を受けるかもしれないことであった。
文献
Kriz et al. Ulnar collateral ligament tear in elite baseball pitchers Am J Sport Med. 2022:50(11):3073-3082.
Kriz. Effect of High School Showcase Exposures and Timing of Ulnar Collateral Ligament Tear on Professional Baseball Careers in Elite Pitchers. Am J Sport Med. 2023;51(4):926–934.
アメリカに全国高校選手権大会はない
アメリカの高校にはインターハイや野球なら甲子園のような全国大会はなく、各州の選手権大会までである。スポーツ競技の全米選手権は大学(National Collegiate Athletic Association通称NCAA)からである。ゆえに高校生にとってShowcase(セレクション)が選手の能力を示す機会である。
Showcaseとは選抜チームを形成し、実際に競技を設ける。参加は選手の任意であり、学校とは関係ない。そのため必要経費は各個人負担になる。
高校生はShowcaseを運営しているウェブサイトに登録し、プロフィールだけでなく個人の公式戦動画もアップする。ウェブサイトはShowcaseを運営するだけでなく、選手レベルもランキングしている。有名な主催側にはPerfect GameやPrep Baseball Report があり、大学コーチやMLBスカウトも選手のスカウトにサイトを活用している。