ウォーターホルダー

投球・サーブ障害肩予防トレーニング

高校生投手の球速と肘障害

時速90マイル(144.8 km)

アメリカの高校生投手にとって時速90マイル(144.8 km)をスカウトの前で投げることが一つの目標になっているかもしれない。そんな球速ブームの昨今に警鐘を鳴らすかのような高校生投手の球速90マイルとトミー・ジョン術の関係を示した論文がある。

投手全体の27%がトミー・ジョン術

2010-2020年の間にメジャーリーグベースボール(MLB)の5巡までにドラフトされた投手845名の後ろ向き研究によると全体の27% にあたる229名がトミー・ジョン術を受けていた。MLBドラフト5巡以内の選手とは才能をもった有望選手のことで投球メカニクスも優れていると言える。またトミー・ジョン術とは投球側の肘の内側側副靭帯(アメリカではこの靭帯ことを尺側側副靭帯と呼んでいる)再建術のことである。最近で言えば、前田健太選手(現デトロイトタイガース)や大谷翔平選手も受けた再建術のことである。

高校時に90マイルを投げる投手は、高校時に投げられなかった投手に比べ、トミー・ジョン術を有意に多く受けていたことであった。同様に高校時に最高球速92マイル(148 km)以上投げる投手も投げられなかった投手に比べトミー・ジョン術を有意に多く受けていた。ただし高校投手で速球95マイル(153 km)を投げる投手はトミー・ジョン術のリスクが低かったことであった(オッズ比0.43)。この場合のオッズ比は球速95マイルの投手の中でトミー・ジョン術を受けた割合とその球速に達しなかった投手らが受けた割合の比なのでオッズ比1以下はトミー・ジョン術リスクが低いことになる。

さらに229名の選手のトミー・ジョン術を受けた時の平均年齢と標準偏差±1(22.3 ± 2.9歳)から19.4歳以下の早期群27名と25.2歳以降に手術を受けた後期群29名に分けて比較すると早期群は後期群に比べ大リーグでの登板が有意に少ないことであった(48.1% vs 86.2%)。

関連論文では高校時に球速90マイル(144.8 km)を投げ大リーグで登板した投手は、 大リーグで登板できなかった投手に比べてトミー・ジョン術までが有意に遅かった(5.8年 vs 4.3年)。これは高校時に球速92マイル(148 km)投げた投手にも言え、大リーグで登板する選手は、大リーグに登板できなかった選手に比べてトミー・ジョン術まで有意に遅かった(5.5年 vs 3.6年)。

アメリカの高校生投手にとって球速90マイルをスカウトが集まるShowcase(セレクション)で見せることはMLBにドラフトを受けるあるいは大学進学のためのスポーツスカラシップを獲得することにつながる。その一方で肘に負担をかけることにもなり兼ねない。たとえば19.4歳以下の早期でトミー・ジョン術を受けることになれば逆に大リーグまでの機会が薄れることになる。

19歳以下までの後思春期の選手が効率の良い投球メカニクスを習得したとしても、骨をつなぐ靭帯を保護するための筋力、体力があるとは言えない。最近特に球速向上のための特別な運動も開発され一昔前に比べ高校生投手が球速140-150 kmを投げることも珍しくない。スカウトにとっても球速は選考の説得材料にもなる。しかし今回の研究論文から球速90マイル(144.8 km)を投げるだけで大リーグに達するものでなく、むしろ早期にトミー・ジョン術を受けるかもしれないことであった。

文献
Kriz et al. Ulnar collateral ligament tear in elite baseball pitchers Am J Sport Med. 2022:50(11):3073-3082.
Kriz. Effect of High School Showcase Exposures and Timing of Ulnar Collateral Ligament Tear on Professional Baseball Careers in Elite Pitchers. Am J Sport Med. 2023;51(4):926–934.

アメリカに全国高校選手権大会はない

アメリカの高校にはインターハイや野球なら甲子園のような全国大会はなく、各州の選手権大会までである。スポーツ競技の全米選手権は大学(National Collegiate Athletic Association通称NCAA)からである。ゆえに高校生にとってShowcase(セレクション)が選手の能力を示す機会である。
Showcaseとは選抜チームを形成し、実際に競技を設ける。参加は選手の任意であり、学校とは関係ない。そのため必要経費は各個人負担になる。
高校生はShowcaseを運営しているウェブサイトに登録し、プロフィールだけでなく個人の公式戦動画もアップする。ウェブサイトはShowcaseを運営するだけでなく、選手レベルもランキングしている。有名な主催側にはPerfect GamePrep Baseball Report があり、大学コーチやMLBスカウトも選手のスカウトにサイトを活用している。

運動スキルとパフォーマンス

運動スキル習得

人はボールを投げたり、野球ならバッドで投げられたボール打ち返したり、テニスのサーブさらに剣道や弓道など運動のスキル習得で競い合う。運動スキルとは目的のために各関節を動かす随意運動のことであり、パフォーマンスのことである。
スキル習得には段階があり、始めに頭で動かし方を理解し、運動達成までの一連の流れを学ぶ。次に一連の流れを実際に行い、頭で理解していたこととの違いを知る。習得したいスキルにもよるが簡単にまねができる動きもあれば、すぐにできないスキルもある。

タイミングがすべて

指先や左右の手を使う楽器など細かいスキルは分習法で単純な動きからの開始になる。一方で野球の打撃やテニスやバレーボールのサーブはバッドやラケットあるいは手にボールを当てることはできても、強く前に飛ばすとなると手先だけでなく下半身からの連鎖運動が必要になる。連鎖運動で大切なことはそれぞれのタイミングである。関節から関節、体幹から上肢近位部、さらにバッドあるいはラケットをもつ手までの一連の流れのタイミングである。しかも大腿部やでん部のような大きな筋肉から前腕の筋肉まで大きさも違えば、運動制御の仕組みも違ってくる。たとえば一つの運動ニューロンで支配している筋線維の量が異なる。
随意運動は頭の中で指令する筋収縮のことであるが、それだけではとても打撃やテニスやバレーボールのサーブはできない。体幹部や付け根の筋肉は一定に緊張しているのでなく必要時にタイミングよくしっかり収縮できるかである。

分習法

運動スキルとは各体節(筋肉を含む関節)のタイミングの動きを習得することである。投手の投球動作の習得となればワインドアップ、コッキング、加速、ボールリリース、減速、フォロースルーと言って一連の動作を期分けした分習法があるほど、各期の要素をしっかり習得しなければ習慣性障害で肩や肘を痛めてしまう。
投手は、ボールの大きさや重さ、マウンドの高さからホームプレートまでの距離すべて同じ環境下でスキル習得することになる。しかし競技するとなれば話は変わってくる。言うまでもなくホームプレートの幅内でバッターの膝から胸までの間にボール投げなければならない。投手は球速の緩急、変化球を交えた投球を行うことになる。これもスキルでありパフォーマンスである。

一方で、打者が投げられたボールに当てるには少なくもホームプレートから9フィート(2.74 m)までにバッドを振り始める必要がある。プロ選手は5.5フィート(1.68 m)までボールを見極めて振ることができる。どちらせにボールが当たるのを見て振るのでなく、あくまでも勘で振っている。ゆえにプレート近くの変化球に打者は対応できず、空振りかチップするのが関の山である。

知覚と予測

スキル習得の段階で自身の感覚器(または固有受容器)からの知覚とコミュニケーションができれば予測も立てることができる。さらに計測と自身のパフォーマンスを比較することもできる。計測にはたとえば投手なら球速や回転数、回転軸などの数値のことである。

計測器と運動後の知覚

投球動作中、身体のバランスからボールリリースにいたるまでリズム運動になる。ボールリリースでは肩内旋角速度が毎秒8000°に及びとても腕の位置を随意運動で整えることはできない。つまり投球中は神経回路で調整は不可能である。しかし感覚器から記憶として呼び起こすことは可能であり、計測器からのデータと運動後の知覚の記憶を比較することができる。

パフォーマンスの特徴

スキル習得とは半永久的に身につけたことであるが、試合などで競い合うパフォーマンスは一回の表現である。パフォーマンスの特徴には6つある。一つは「向上」である。パフォーマンス向上にはすぐに学ぶスキルもあればある程度の反復練習ができるまで時間のかかるスキルもある。また向上の途中にあるのがスランプである。順調にスキル向上できなく、ある一定のところで向上の停滞に陥る。スランプ打開には基礎に戻ることや熟練者からのアドバイスなどさまざまな方法はあるが、何よりも自身の競技経験が必要である。練習と試合はまったく別、ゆえんである。

一貫性

次に、「一貫性」である。MLB(大リーグ)選手のインタビューで ”consistency” と言うことを聞く。投手にしても打者にしても自身のスキル、一連の動きを一貫する大切さを強調する。インタビューを聞いていて身に付けたタイミングを貫くことがいかに難しいか、しかしできたことがパフォーマンスにつながったと話している。パフォーマンスの特徴に一貫性がある。

安定性

3つ目は「安定性」である。安定とはチームスポーツならシーズン制で競い合う。つまり試合日程は事前に決まっている。シーズン中の体調管理を専門家とともに行い万全を期して準備しているのだが、やはり疲労はある。あるいは屋外スポーツなら天候に影響を受けることもある。さらに海外では移動時間だけでなく時差も発生する。選手は内的、外的なストレスの中で安定したパフォーマンスを発揮できるかである。

粘り強さ

4つ目は「粘り強さ」である。年齢的、体力的にパフォーマンスピークあるいは自身の能力などで限界をつくるのでなく、新しい目標も見つけ目標達成のためのスキルを身につけていくことがパフォーマンスの特徴でもある。

適応性

5つ目は「適応性」である。おかれた環境下で最善を尽くすことである。高校から大学あるいは日本リーグさらにプロスポーツと言ったレベルが異なる環境下で習得したスキルを使っているはずが環境の違いから戸惑うこともある。ましてや外国のチームに移籍したとなると言葉から文化的背景の違いもある。習得したスキルを駆使するにはまず環境に適応しなければならない。また新しい仲間との人間関係も築かなければならない。さらに新しい対戦相手にはこれまでにない戦術、戦略を含め再考する必要もある。最善のパフォーマンス発揮には適応がある。

最小限の注意

最後に「最小限の注意」である。動作スキルのタイミングも注意することなく容易に行うことができることである。このことで他のことが見え、予測の幅が大きくなる。究極のパフォーマンスとは最小限の注意で行うことである。

Capacityからcapability

選手のスキルは経験から得るキャパシティ(capacity)の大きさに関係する。キャパシティとは容量のことであるが、その大きさを広げることができかである。良く山登りに例えられ「今置かれているところは6合目か7合目」であるなどの表現を聞く。上に登れば見える視野も変わる。キャパシティとは視野を広げることであり、そのことで潜在能力を高めることができる。潜在能力をポテンシャルとも言うが、この場合はケーパビリティ(capability)のことである。広げた「視野」を使える潜在性のことである。

動体視力を高めるためには

目から入ってくる情報は後頭部にある脳(後頭葉あるいは視覚野)に届けられ、そこから情報は側頭部にある脳(側頭葉)あるいは頭頂部にある脳(頭頂葉)で分析されます。側頭葉に送られる情報は文字やカラー、意味など静止した情報を処理し、頭頂部では動いている視界情報を処理します。
走っている車などの情報は動いているので頭頂部で処理されますが、自らも運転していて前方の車が同じスピードなら「静止」状態になり得ます。静止した視覚情報なら側頭葉から必要に応じ前頭部の脳(前頭葉)へと送られます。前頭葉は額にある脳のことで、側頭葉からの視覚情報を過去の経験や時には感情に照らし合わせ、意思決定を行います。

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視覚情報はまず後頭葉(視覚野)に届き、静的な情報は側頭葉(紫色)、動的な情報は頭頂葉(黄緑色)へ送られ分析、処理される(https://en.wikipedia.org/wiki/Two-streams_hypothesis)

同時に複数の物を見る練習

一つのことだけを見るだけなら瞬時の意思決定に問題はないのですが、同時に複数のことを見て意思決定をするとなると遅れます。動的視力を高めるには、日ごろから同時に「複数の物を見る」訓練が必要になります。クラスター(集合)から判断できる能力のことです。見るだけでなく素早く行動を起こす訓練も必要になります。例えば「もぐらたたき」であればすべての穴を見て反応できるようにするなどです。自らも動いての動体視力ならバスケットボールの3対3のような味方と相手、ボールを同時に見るような練習方法が有効になります。運動においては、視覚、時に聴覚、頭の動きの知覚情報を同時に処理する訓練も動体視力を高めることに繋がります。

視覚と指先の連結

視覚と指先の動きは連結することができます。慣れればかなりの精度で、しかも反射的に連結できます。例えば野球のキャッチボールなど目からの情報とボールを取る運動です。

頭の動きと眼球の連動

外野に飛んだフライボールを追うとなると体を捻りながら走り、同時に左右の頭の動きが発生します。その際の頭の動きと眼球の動きも連動しています。この場合ボールから目を離さないために頭の動きの逆側に眼球が動きます。

動体視力と注意力

動いているものを見るなら視覚情報は頭頂葉に向かいます。この時必要になるが注意力です。注意がなければ動いている視覚情報は認識されないためです。たとえば走っている車の車種やカラーなど気にならないのが一般ですが、興味ある車が走っていると見ようと注意し、いろいろ比較したりするかもしれません。比較するなら前頭葉で行われますので頭頂葉に映し出された動画の一コマ、一コマを前頭葉に送ることになります。

費用対効果の代償

動体視力には2つの欠点があります。一つは費用対効果の代償です。例えば相手が予測通りの動きなら反応は速く、外れれば余計に反応時間がかかることです。2つ目は相手のフェイントに惑わさせられることです。これはラグビーやバスケットボールでよく見る相手を引き出し抜くテクニックのことです。
恐らく剣道の達人になるとこれら費用対効果の代償やフェイントは通じないでしょう。彼ら目に見えない「心の動き」を読み始めているかもしれません。 つまり予測の予測です。

想定内の容量

最後に動体視力を高めるには如何にして想定内の容量(キャパ)を増やせるかになります。事前に起こり得ることは頭に入れれば入れるだけ動体視力に役に立ちます。一方で予期せぬできごとや自分の名前が耳に入った時などは注意力が逸れ、動いている視覚の処理に影響を与えます。また事前にアドバイスがあったならそれを思い出すたびに自ら行動に影響を与えるかもしれません。

ヒトの神経回路はある意味ケーブルのようなものです。しかしヒトの神経回路はインターネットの「光ファイバー網」のように取り換え、速度を上げることができません。動体視力を高めるには同時に複数の情報処理する能力を鍛えることや事前の想定内キャパを増やすことでできます。これを神経科学では可塑性(plasticity)と呼んでいます。

ワーキングメモリー

視覚情報に瞬時の記憶を引き出し前頭葉で意思決定する際に欠かせない能力が「ワーキングメモリー」です。ワーキングメモリーとは一般に7つ前後の数字を覚える程度の記憶量で、目的、この場合意思決定が終われば忘れます。しかし私たち人ととしてのクリエイティブ(創造)をする時このワーキングメモリー量と睡眠が大いに関わっています。またワーキングメモリーとドーパミン放出量は比例し、ドーパミンは報酬だけでなく意欲動機付けに関係します。

錯覚

健常な私たちの行動で最も頼っている感覚器が視覚です。しかし視覚はしばしば錯覚することがあります。主に処理の過程で思い込みや偏見で起きます。一方で聴覚や嗅覚は錯覚がなく瞬時に危険性を認知させてくれます。つまり良いか悪いか、安全か危険かです。例えば飛行機整備士がハンマーで軽くたたくのは音の違いで不良を判断します。

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錯覚その1 横の線の長さは同じだが違うように見える
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錯覚その2 オレンジの淵が外か中で羊の毛の色が違うように見える

運動に関する神経科学・運動学習

運動に関する神経科学・運動学習セミナーを開催します。
ノートでは大脳皮質からの「随意運動」と脳幹からの「対応側の不随意運動」の役割など下行路の仕組みさらに上行路からみた痛みの緩和の仕組みを掲載してきました。
また運動学習についてはリハビリテーションエクササイズの視点から書きました。運動学習はもともと体育の教授方法を神経科学から説明した学問で、とくにスキル習得方法を学ぶ学問です。スキルとは個人の才能や素質とは別に、練習によって獲得できるパフォーマンスのことです。

本セミナーは11回シリーズで開催されますが、「運動に関する神経科学」5回シリーズ、「運動学習」6回シリーズからも受講できます。
詳細は本ホームページ「セミナー開催」ページをご参照ください。

投球障害肩予防トレーニング

肩関節と投球動作

身体の中で最も可動域のある肩はさまざまな運動を可能にしています。スポーツもその一つで特に投球やテニス、バトミントンのサーブ、バ`レーボールのアタックなどがそうです。

習慣性スポーツ活動は目的の運動に合わせて肩周辺の筋肉も発達させます。運動「スキル」が上達すれば最小限の筋力で運動の最大効果を発揮することができます。

運動学習

スキルを習得するには反復練習でフォームを確立することになります。特に投球やサーブのフォームは「クローズド・スキル」と呼ばれ、試合中であっても自らが開始する運動になります。サッカーやバスケットボールなど相手の動作による反応が前提の「オープン・スキル」と違い、クローズド・スキルは正確性、スピードを高めるための練習になります。

フォームを固めるためには部分トレーニング「分習法」や器具で類似の練習も行うことになりますが、トレーニングはあくまでも種目に沿った「特異性」になります。そして最終的には試合形式の練習が必要になります。さまざまな環境下の試合で習得したパフォーマンスの正確性やスピードを発揮するためには「失敗から学ぶ」経験が必要になるからです。

腱板/関節唇損傷

フォーム習得までの「反復練習」はその質を追求するがゆえに腱板と呼ばれる肩関節周辺筋を損傷させることになります。スキル習得後の効率良い筋肉の働きは逆に関節包や関節唇と呼ばれる肩関節内の結合組織を損傷させることになります。この場合の損傷は「症状としての痛みがでる」こともあれば「関節自体が適応する」こともあります。

特別なトレーニング

腱板や関節唇の損傷をできる限り避けるための予防を「特別なトレーニング」と呼び、チューブやミニメディシンボール、リストカフなどリハビリテーションに使う器具を使い、肩関節から肩甲骨周辺筋つまり投球やサーブに関係する筋肉を鍛え、肩を痛めないようにする必要があります。

関節弛緩の問題

個人によって異なるのですが「関節弛緩の問題」もあります。どの関節も弛緩はあるのですが、特に肩関節は「ゴルフのティ」に「ゴルフボール」が乗った球関節でありそれが大きいです。

肩関節の弛緩が比較的に大きい選手は早い段階で肩に慢性痛を発生させるかもしれません。そうでない選手もスキル向上に伴いやはり慢性痛を発生させることになります。特に肩関節前方不安定性を示す選手は肩を痛めやすくなります。慢性痛を避けるためにより多くの「特別なトレーニング」が求められます。

肩関節の評価

肩関節の評価は「機能」になり、つまり個人の運動(目的)が達成できるかになります。その機能にあった関節可動域を獲得することになります。ゆえに肩関節に限っての評価は「関節の安定性」でなく個人の機能評価になります。

投球やサーブなどのスキルは地面反力からの力、エネルギーを下肢から体幹、肩甲骨を通じてボールやラケットを握っている手に伝えることができるか、キネティックリンクの効率になります。しかし肩の痛みとなれば肩甲骨の動き、肩関節の可動域の改善がまず求められます。

肩甲骨の動き

肩甲骨は、前傾/後傾、外転/内転、内旋/外旋、上方・下方回旋と呼ばれる8つの動きが腕の動きに合わせて起こります。肩甲骨の適切な動きが起きなければ肩関節を痛めることになります。特別なトレーニングは肩甲骨の動きを最大かつ最適に引き出す運動になります。

投球障害肩予防トレーニングの研究は興味深く、この10年間積極的に取り組みエビデンスに基づいたエクササイズを確立しています。その結果、投球動作に必要な腱板の筋力も向上することがわかってきました。

最新UCL再建術ーハイブリッド術に迫る

アメリカの最新再建術ーハイブリッド術のすごさをエビデンスでひも解く

野球肘で最も多い手術がトミー・ジョンと呼ばれている肘の内側側副靭帯の損傷による再建術です。1974年にFrank J. Jobe医師によって初めて執刀され、その時の患者がメジャーリーグ(MLB)のTommy John投手でした。彼は手術後にMLBで164勝を挙げ、このことからトミー・ジョン術と呼ばれるようになりました。肘の内側側副靭帯は前腕小指側の尺骨(ulna)に付いていることからアメリカではUCL(ulnar collateral ligament)と呼び、その損傷をUCL損傷、トミー・ジョン術あるいはUCL再建術と呼んでいます。 マガジンでは、MLBのトミー・ジョン術の現状、UCL再々建術(2回目のトミー・ジョン術)、復帰率をエビデンスから説明しています。 野球に興味ある方、トミー・ジョン術に関心ある臨床家、大谷翔平選手の肘のゆくえに興味ある方に是非一読していただければと思っています。

マガジン「MLBのトミー・ジョン術ー大谷選手の肘をエビデンスでひも解く」はnoteでご購入いただけます(500円)⇒ note

神経科学からみたエクササイズ

エクササイズ

エクササイズは、ある特定の目的を改善するための身体運動です。目的は、運動不足解消からプロポーション維持、アンチエイジングまでさまざまです。さらに怪我をして、痛みが解消したなら怪我の前のコンディションに戻すためにもエクササイズをします。

スポーツ選手なら怪我の予防のためにルーティンワークとしてエクササイズを行います。パフォーマンスに関するエクササイズなら筋力、瞬発力、跳躍力からパワー向上のために行い、個人のスポーツスキル向上に繋げます。パフォーマンスという全身からの出力なので体幹部を強調したりもします。

体幹部の筋力の実際は日常生活で最大筋力の5%、それなりの激しい運動でも最大筋力の10%ぐらいしか活性していないと説明されています(Kibler 2006)。

随意運動、反射、リズム

エクササイズ、身体運動を神経科学視点で考えるなら、大きく3つに分けることができ、1つは随意運動、次に反射、3つ目にリズムです。

随意運動は意識的に筋肉を動かす運動です。たとえばアームカールやスクワット、マシンエクササイズなどのことです。

反射は、熱い物を触った時に熱さの感覚の前に手を引くなどの脊髄反射から身体バランスを崩した際、転倒を防ぐために抗重力筋の緊張など無意識的な反応があります。スクワットは股関節、膝関節の伸展運動、随意運動なのですが、背中や胸など意識的に緊張しているのでしょうか。パーソナルトレーナーなどによって指導があれば意識が注がれ、膝についても内側に入らないように股関節外旋筋を緊張したりしますが、普通は意識していないと思います。こうした運動目的以外の筋肉も対応している点から反射と言えます。

リズムは、始めは随意運動で途中は反射的活性そして終わりは随意運動になります。たとえば歩行やランニングが典型的です。歩行やランニングなどいちいち足を前に出すために足関節を背屈し、膝を曲げ、大腿部を上げてなど意識してられない。逆側の脚部全体を真逆の動きで一連に行い、それが髄運動でやめるまで連続です。

スポーツならウォームアップで用いる「ラダー」や陸上のスキップなどもリズムになります。何度も繰り返し身体に覚え込んだ動きなので、考えずにその動作ができ、むしろほかのことも意識できたりします。

複雑なラダーのステップワークも意識的に一つ一つの関節を屈伸するのでなく、むしろ身体のバランス、平衡感覚を保ちながらリズムでおこなっています。身体のバランスは先ほどの対応型の反射になります。

練習で習得したリズムはその動作スピードを上げることもできます。複雑な動きの究極はダンスやバレエかもしれません。動きを習得したなら完全に覚えたならリズムになります。

対応型

先ほどの運動中の身体のバランスや平衡感覚も表現の練習中で鍛えることができます。たとえば一輪車やスキー、アイススケートなども意識的に脚を操作しますが、体幹から頭の位置が転倒しないような緊張の仕方を覚え、目的の動作をリズム良くできるように貢献します。意識的に動かす動作とは別に身体バランスを調整している機能は無意識的であり、対応型と言えます。

固有受容器

私たちの動作は、末梢感覚、視覚、内耳にある三半規管前庭器からの情報を処理しながら行っています。固有受容器と呼ばれる末梢感覚からの情報で私たちは時空間の中で四肢(腕や脚)の位置を知ることができます。固有受容器には筋肉の長さや収縮速度を察知している「筋紡錘」、運動負荷や筋肉の張力を察知している「ゴルジ腱器官」があります。

ストレッチ

ストレッチはこの固有受容器を上手く刺激すると、相反抑制や自己抑制などが筋肉で起きリラックスに作用します。

相反抑制とは動かく筋肉を主導筋と呼び、その裏側の筋肉のことを拮抗筋と呼びます。たとえば肘を曲げるなら上腕二頭筋は主導筋になり、裏側の上腕三頭筋は拮抗筋になります。肘を曲げる際にわざわざ上腕三頭筋を大脳がリラックスの指令を出さなくても脊髄レベルで抑制してくれます。このことを相反抑制と呼んでいます。

自己抑制は重たい物を持ち続け、これ以上筋肉を働かせるなら怪我をするかもしれないので主導筋自体を抑制させる仕組みのことです。これも脊髄レベルで調節されています。

マッサージ

ストレッチは単関節でなくむしろ複合関節でも行うことができ、筋肉を弛緩させるのに有効です。一方でマッサージは気持ちよく「もっともっと」が働くばかりで、終わったは20分もすればマッサージを受けていた感覚を忘れます。むしろ下手なマッサージを受けると逆に時間の無駄や怒りすら覚えたりします。実はこれらすべてドーパミンという脳内物質の作用によるものです。これについては筋肉の張り解消法その5をご覧いただければ幸いです。

リハビリテーションエクササイズ

スポーツで怪我をした後、痛みが取れれば再発予防のためにリハビリテーションエクササイズを行います。このエクササイズは室内で行われます。怪我の箇所にもよりますが、単調な屈伸運動から様々な運動器具を用いた特別な運動があります。これら室内で行うエクササイズすべてが固有受容器を刺激しながらの運動になります。意識的に四肢を動かす中、私たちはその上肢や下肢の位置を知覚します。

リハビリテーションにおけるエクササイズのパターンを6つの神経学的な視点で考えることができます。6つの視点を理解すれば、あとは応用になり、さまざまなエクササイズも解釈でき、さらに創意工夫できるのではないかと考えます。是非マガジンで少しでも多く学んでいただければと思っています。

プロフィール

アメリカ・カリフォルニア ・サンノゼ州立大学大学院アスレティックトレーニング教育プログラムの主任を8年間(2012年から2020年まで)務めました。2021年から2022年はCAATEアスレティックトレーニング教育プログラム臨床コーディネーターを担当し、また学科専門科目の運動学習(Motor Learning)も担当しました。

その間の10年間、サンノゼ州立大学ベースボールチーム(NCAA-D1)と研究活動を行うことができました(原著論文20+)。研究は、ランダム化比較研究症例研究前向き研究を含めた「投球障害肩の予測」を行い、一方で「投球障害肩予防トレーニング」をEMGを用いて行いました。投球障害肘は、MLB・サンフランシスコ・ジャイアンツチーム整形外科医のDr Akizukiからトミー・ジョン術およびインターナルブレイス修復術の手術を7か月間、執刀医の真横で学ばさせていただきました。これについて日本野球学会誌に発表しました。

2012年8月に渡米し、2023年3月に帰国するまでの10年半は、専門家として計り知れない経験と機会をもつことができ、今後これらの経験を少しでも多くの方、とりわけスポーツ、アスレティックトレーニングの専門家に伝達、共有することができればと思っています。

筋肉の張り解消法

スポーツの試合の後、肩や腰、でん部などの筋肉が張り、動くどころか起き上がることもままならないことがあります。
シーズン中なら次の試合のスケジュールが決まっています。選手は筋肉の張りを解消しモチベーションを高める必要があります。
筋肉の張りの解消法をご紹介します。解消法と言っても、種目やスポーツ、日程などによって変わり、あくまでも汎用の考え方ですが、経験に基づいて応用していただければと思っています。

内容:
1)ゲートコントロール理論
2)下行性鎮痛システム
3)筋スパズム
4)網様体脊髄路パターン
5)水風呂でノルエピネフリン放出

マガジン販売のご案内です。興味関心ある方は、こちら⇒Noteから購入いただけます(300円)

UCLハイブリッド術

大谷選手

 大谷翔平選手が19日現地時間に投球側の内側側副靭帯(UCL)手術を受け、翌日からメディアはこのことを取り上げました。術後に担当執刀医のDr. Neal ElAttracheは声明文を発表しました。その文から見えてくる内容を解説してみたいと思います。

“The ultimate plan after deliberation with Shohei, was to repair the issue at hand and to reinforce the healthy ligament in place while adding viable tissue for the longevity of the elbow.

“was to repair the issue at hand”

 これは、「目の前に置かれている(少々意訳)の問題を解決することだった。」”Repair”は医療の場合「修復」や「修復術」として使われていますが、一般には「直すこと」です。”the issue”は「問題」でこの場合大谷選手の肘の再損傷のことです。

“reinforce”は補強

 ”Reinforce”は補強することです。軍隊用語で兵、武器を補充(補強)することです。これを「強化」と訳すとニュアンスは変わります。

“the healthy ligament”

 次に、”the healthy ligament”は健康な靭帯ですが、自家腱移植のことです。逆側の長掌筋腱か、大腿内側部の薄筋腱か、どこの腱を採取したのかわかりませんが、靭帯に置き換えたことです。腱と靭帯は同じ緻密性結合組織です。採取した腱をグラフト(移植)用の靭帯に整えたので、”the healthy ligament”と説明されたと思います。

“adding vaibale tissue”

 “adding viable tissue”はインターナルブレスのことです。残念ながらインターナルブレスは日本の医療では認可されていません。ちなみにアメリカでは、スカラシップで進学希望する高校生や大学生あるいはマイナーリーグの投手に使われています。その他のオーバーヘッド選手にも採用されています。しかしメジャーリーグの投手にはこれまで採用していません。(下記のインターナルブレスのデモンストレーションビデオをご参考にしてください。)

“in place”

最後に”in place”は適切なところ、つまり傷んだ前斜走靭帯があるところにと言う意味です。前斜走靭帯は投球で痛める肘の靭帯のことです。

Procedure

 声明文からだと今回の大谷選手が受けた術法(Procedure)は、ハイブリッド術だったと確信します。最初に自家腱を移植し(トミージョン術)その後にインターナルブレスで補強した形です。Dr. ElAttracheはそのように説明していました。前田健太選手もこのハイブリッド術を受けています。ですので新しい術法でなく、MLBの投手にはハイブリット術が行われる傾向です。

インターナルブレス修復術

 インターナルブレスは人工靭帯に加え、縫合用の糸が2つ出ています。損傷あるいは部分断裂した靭帯を修復するためにです。もともとインターナルブレスは修復術になります。縫合だけでは術後の成績が良くなく、結果的に人工靭帯で補うようになったのです。ビデオで見てわかる通りに簡単な修復術ですし、補強(人工靭帯)が加わったことでが術後の成績は良好です。しかしMLBの投手にはインターナルブレスだけでは微妙なことが推察できると思います。

トミージョン術

 野球肘で最も多い手術介入がトミージョンと呼ばれている肘の内側側副靭帯損傷による再建術です。1974年にFrank J. Jobe医師によって初めて執刀され、その時の患者がメジャーリーグ(MLB)のTommy John投手でした。彼は再建術後にMLBで164勝を挙げ、このことからトミージョン術と呼ばれるようになりました。肘の内側側副靭帯は前腕小指側の尺骨(ulna)に付いていることからアメリカではUCL(ulnar collateral ligament)と呼び、その損傷をUCL損傷、トミージョン術あるいはUCL再建術と呼んでいます。
トミージョン術が行われるまではUCL損傷は投手キャリアの終了を意味していました。Jobe医師はその後16人の投手にUCL再建術を行い、2年間の追跡調査の結果、63%の患者が術前と同じレベルで復帰したことを報告しました。

健康と外傷・障害追跡システム

 2010年までトミージョン術は年に数件でしたが、2010年以降みるみるうちのその件数は増え、年間数十件執刀されるようになりました。その理由はMLBに画期的なシステムが導入されたからでした。2010年MLB機構とMLB選手会が「健康と外傷・障害追跡システム」(Health and Injury Tracking System:”HITS”)構築に関する合意がありました。このことでMLBおよびマイナーリーグに所属する選手すべての外傷・障害を電子で記録することになり、特に肘のUCL損傷は選手に症状が出た時からチームは入力する義務があり、選手が引退するまで追跡することになりました。その間どのような治療を受けたのか、MRIなど画像診断があったならばその画像、再建術あるいは修復術を受けたならどのような手術方法で医師は誰だったのかなどカルテの情報すべてを電子メディカル記録に報告することになりました
この結果2013年以降、MLBのUCL損傷およびトミージョン術に関する論文が増え、2013年は2本だったのが2019年は13本とこの10年間で70本以上の学術論文が出版されました。PubMedという英文誌医学検索で”ulnar collateral ligament”と”MLB”を入れての結果です。
HITSは、研究者にUCL損傷メカニズムの好奇心をそそり、医師はトミージョン術のリスク管理情報を共有し、選手には選択権を与え、球団は大型契約を結ぶ際の材料に使います。そして野球をする大学生からスカラシップで進学を希望する高校生にまでも影響を与えました。

PITCHf/xシステム

 現在MLBの各球場にはPITCHf/xシステムが設置されていて、公式戦に登板した投手の球速、球種、投球数が記録されています。このことと追跡システムとでUCL損傷メカニズムを分析しています。しかし今のところ分かっているのが最高球速95.7 mph(154 km/h)以上を投げる投手の20%はUCL再建術の可能性があることです。しかし球速との関係を示した論文はありますが、それ以上のことは明らかにされていません。

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